「ひどい」「つまらない」「観ない方がいい」「受け入れられない」みたいな悪い評判ばかりだけど、本当にそうなの?
このような疑問にお答えします。
『トイ・ストーリー』シリーズは、ディズニー映画の中でも人気を誇る作品の一つで、『トイ・ストーリー3』では史上最高傑作と言われるほど、高い評価を受けました。
しかし、その9年後に公開された『トイ・ストーリー4』も高い評価ばかり受けるわけでもなく、悪い評価も多くされており、結果として賛否両論に意見が分かれることとなりました。
また、Googleで『トイ・ストーリー4』を検索すると、サジェストキーワードとしてこのようなワードも提案されてしまいます。
そこで今回は、なぜそんなに悪い評判ばかり立ってしまうのかを徹底解説していきます。
『トイ・ストーリー4』が批判される理由は3つ
このような意見が悪い評価へとつながっているようです。
- アンディとの約束を破ったボニーがクズい
- ボーピープのバズのキャラが変わりすぎ
- クライマックスの結末に納得できない
一つずつ解説していきます。
アンディとの約束を破ったボニーがクズい
『トイ・ストーリー3』では、アンディがこれまで大切に遊んできたウッディたちをボニーなら同じように大事にしてくれることを信じて譲るという感動的なシーンが終盤にありました。
しかし、そのようなアンディとの約束は『トイ・ストーリー4』の序盤ですでに破られており、ボニーはウッディの存在をほとんど忘れかけていました。
さらに、ボニーと一緒にフォーキーを探していたお父さんも、平気でウッディの顔を踏みつけるというひどい扱いを受けているシーンもありました。
そんな「ボニーの行動」や「ウッディに対する扱い」に対して、トイ・ストーリーファンからの批判を集めることとなりました。
私もこの意見に対して賛同しています。
ボニーたち人間にはウッディの人間性までは見えないのは仕方ないものの、あそこまでウッディの行いが報われないのは、流石に可哀想すぎました。
ボー・ピープやバズのキャラが変わりすぎ
第1作目や第2作目から登場しており、ウッディの恋人役として優しく上品なお嬢様キャラでしたが、『トイ・ストーリー4』では、水玉模様のピンクドレスから一転して青いパンツ姿へと変貌していました。
また、性格もリーダーシップを発揮して周りをまとめる芯のある強い女性になっていました。
そして、ボニーからの扱いによって今まで信じてきた「おもちゃとしての存在」に疑問を抱くようになっていたウッディが、ボーと再会したことで、新たな存在意義を見出した結果として、ボーと共に歩む道を選びました。
ボーだけでなく、バズのキャラも今までの作品と大きくズレていた印象も受けました。
これまでは、自らの危険もいとわない勇敢な行動や言動を見せていたバズでしたが、今作では、ウッディが発した「内なる心の声に従う」ことに感化され、
最後まで、ボタンを押しまくり、自分の考えよりもボタンから発せられる心の声に従い続ける姿がただただナヨナヨしかったです。
これも、ウッディと同じようにバズも「おもちゃの存在意義」を見失っていたのかもしれません。
制作サイドも「トイ・ストーリー3で完結」していることを理解した上で、これまでの「アンディ目線での物語からウッディ目線での物語にシフト」したことで、今作のストーリー構成による影響をボーやバズたちが受けてしまったことも考えられます。
クライマックスの結末に納得できない
先ほど述べたような「おもちゃの存在意義」を踏まえて、クライマックスシーンのウッディの決断にトイ・ストーリーファンはガッカリしてしまったようです。
これまでの過去作では、何があってもアンディのことを一番に選択し、行動してきました。
そして、アンディの部屋にいるおもちゃの仲間はもちろん、それ以外のおもちゃたちであっても見捨てることは決してなく、困難ばかりだった冒険の後には仲間との友情や絆を見せてくれていました。
しかし、今回は、今までの仲間たちとの協力シーンも少ない上に、みんなに対してのちゃんとした別れも言うことはなく、軽い感じで終わってしまいました。
ファンが求めていた結末と、制作サイドが伝えたかった結末がかなりズレてしまっていたことが「受け入れられない」や「納得できない」という感情になってしまったのではないでしょうか。
また、前作の結末が良すぎたことも、このような感情をさらに強めてしまったかもしれません。
『トイ・ストーリー4』で伝えたかったこととは?
『トイ・ストーリー4』で伝えたかったことは「人生の過ごし方に正解はない」ということだったのではないでしょうか。
それを象徴していたのが、ウッディ、ボー、ギャビー・ギャビーの三人の登場人物だと考えます。
ウッディは今まで、持ち主であるアンディに愛されることが当たり前で、その分、ウッディもアンディのことを1番に過ごしていました。
ボーは、突然にアンディの家を去ることになり、アンティーク店へと送られ、自分は何者なのかを何度も考えながら、数年間という長い期間を外の世界で過ごしていました。
ギャビー・ギャビーは、ウッディのような持ち主に愛される、必要とされることをただただ求めて、アンティーク店で長い間過ごしていました。
本来であれば、ウッディの生き方がおもちゃとしては正しいのかもしれませんが、子供はやがて大人になると同時に、おもちゃの役目の終わりがどうしても来てしまいます。
そして、アンディからボニーのように新しい持ち主へと変わったり、保育園のような場所に寄付されたりと、また新たな人生が幕を開けるはずでした。
しかし、今作では、それが実は当たり前ではなくて、ギャビー・ギャビーのように常に持ち主を求めることも正解だし、ボーのように自由に生きることも正解ということを伝えたかったのだと思います。
これを踏まえた上で、クライマックスシーンのウッディの決断をもう一度考えてみると、譲歩できる部分もかなりあるのではないでしょうか。
ちなみに『トイ・ストーリー4』の海外からの評価や反応はどう?
海外からの評価や反応は、日本とは違い、これまでとはテイストが違うストーリー性に対して肯定的で、高い評価もされています。
なぜ、こんなにも真逆になってしまっているのかというと、「国民性や価値観の違い」が大きいからです。
日本から海外に行くとかなり肌で感じることが多いかもしれません。
海外では、圧倒的に個人の生き方が尊重されており、自分を強く持っている人が多いです。
一方で、日本では集団意識や同調意識が社会全体で浸透しているため、マジョリティを圧倒的に選ぶ人が多く、それが正義となっている部分もあったりします。
『トイ・ストーリー』シリーズはアメリカが制作国なので、海外では、今作のような表現をしても自然に受け入れやすいのかもしれませんね。
この記事のまとめ
いかがだったでしょうか。
これまでの世界観がガラッと変わった『トイ・ストーリー4』に対する賛否両論が日本では飛び交いました。
作品からのメッセージ性をどう受け取るかは、本当に人それぞれで、いろんな意見があったとしても正解も間違いもないので、自分が素直に感じたことを尊重してあげるのが一番大事なのではないかと私は思います。
以上、シナでした。